2019年1月6日

「マラナ・タとマラン・アサ」

「マラナタ」という言葉は、イエスの時代のユダヤ人が使っていたと言われるアラム語という言語です。この言葉は文字の綴りの読み方によって二つの意味が出てきます。    アルファベットでは「MARANATHA」となるのですが、この言葉を「MARANA」と「THA」の間で切って「マラナ・タ」と読むと、「主よ、来てください」という意味になります。これは、主がこれからやって来られることを待ち望む言葉です。     他方、「MARAN」と「ATHA」の間で切って「マラン•アサ」と読むと、「主は来てくださった」という意味になります。すでに主はやって来られた、それはもう実現したという意味です。

 ヨハネの黙示録22章20節に「主イエスよ、来てください」とあります。新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録は、一世紀末、現代の小アジア地方で迫害を受けていた初代教会の信徒たちを励ますために書かれたものだといわれます。その励ましの文書の最後の言葉が「マラナ・タ(主よ、来てください)」という祈りだったということは、とても印象的な感じがします。  迫害に脅えていた信徒たちが、最後の拠り所としたのは、主イエス・キリストの再臨の約束だったことを、この最後の言葉は示しているからです。          そして、「マラン・アサ(主は来てくださった)」とは、「主よ、来てください」という祈りによって、初代の信徒たちがその再臨を待ち望んだ方は、実はすでに「来てくださった」方でもありました。

 クリスマスを祝うということは、過去に起こった「マラン•アサ」と未来に起こるであろう「マラナ・タ」との間で、その両方に感謝しつつ待望し、賛美し祈るということだといえます。私たちはこの二つの出来事の間を生きているのです。