2019年3月3日
「あなたがあなたであるために」
あなたがあなたであるためには、自分という存在は掛け替えのない価値があることを知っていなければならないでしょう。自分は掛け替えのないものであると思えばこそ、人間は自分であろうとするのだと思います。
人間には自己愛という本能があって、本能的に自分を大事にしようとする感覚があることは確かです。けれども、自分にそのような価値を見出すことが出来ないなら、時に人間は投げやりになり、結局、真面目に自分自身であろうとすることなどなくなってしまうのではないでしょうか。
神がイスラエルの民を愛しておられるほどに、イスラエルの民はその愛に応じる信仰を持っていないことは、「彼らは主の道に歩もうとせず/その教えに聞き従おうとしなかった」(イザヤ42:24)とあるように、まことに不信仰な民でしかありませんでした。にもかかわらず、主なる神はそのようなイスラエルの民に「恐れるな、わたしはあなたを贖う」と言われます。「贖う」とは、身代金を支払って買い取ることです。
主なる神は、不信の民を「あなたは価高く、貴く/あなたを愛し」てくださる方です。何一つ条件を付けることなく贖い、救いをなし遂げてくださる、これが聖書の救いです。どう見ても救われるに値しないような者が救われるためには、神の一方的な恵みという、救い以外に方法はないのです。これが福音、よきおとずれであるのです。
預言者イザヤの言う贖いは、パウロが「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです」(Ⅰコリント6:20)とあるように、キリストの十字架の死という代価を支払って救われることで完成するのです。