2019年3月10日

「父よ、彼らをお赦しください」

 イエスが十字架刑によって殺されたことは、4つの福音書が共通して伝えています。

 イエスの十字架の直接の原因は、ファリサイ派や律法学者、祭司長たち、当時の宗教的指導者たちの反感とねたみをかったことにあります。また、弟子たちにも裏切られました。そして捕らえられ、ユダヤ人議会で不当な裁判にかけられ、その結果、ローマ総督ピラトに引き渡されて処刑されたのです。   しかしなぜ神の御子であるイエスが、当時の極刑であった十字架刑にかけられなければならなかったのでしょうか。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙Ⅰ4:10)。    「わたしたちの罪を償ういけにえ」という言葉は、十字架の隠喩(メタファー)的解釈と言います。つまり旧約聖書の時代からの、罪の贖いのために犠牲の動物を献げる慣習にイエスの十字架を重ね合わせて、イエスの十字架が「罪を償ういけにえ」であると理解したのです。

 イエスの受難と十字架の死の意味は、罪に対する神の厳しさと義しさを示すことであると共に、神の愛の現れです。義なる神は、罪の問題をうやむやにはされず、徹底的に罪を裁かれます。しかし神の裁きに人間は耐えられないでしょう。また愛である神はその厳しい裁きを人間に負わせるのでなく、御子イエスに負わせることによって、人間を罪から解放されたのです。    そして、イエスは3日目に復活され、弟子たちに現れました。キリストの「復活」は、「十字架」の意味を明確にしました。それは、イエスの死が罪人としての死ではなく、神による救いの出来事であることを明らかにしたのです。