2019年1月20日

「いやしをなさる方キリスト」

 マタイによる福音書8章には、3つの癒しの出来事が伝えられています。はじめに、重い皮膚病を患っている人の癒しがあります。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われ」たとあります。   次に、ある百人隊長の僕が中風でひどく苦しんでいたとあります。「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」という百人隊長の信仰に対して、主イエスは「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」と言われ、「ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」と記されています。   主イエスは、ある時は手を伸べ、触れつつ、またある時は御言葉の力によって、つまり、その御手と御言葉をもって、癒しをなされたのです。福音書には、他にも数々の癒しの物語が記されています。

 今日の16〜17節は、3つ目のペトロのしゅうとめの癒しの物語の後に、そうした癒しをなさる方、主イエスのことをまとめて表現した言葉です。そこには、「悪霊に取りつかれた者を大勢」が、また「病人を皆いやされた」とあります。主イエスの御手と御言葉には、癒しの力が働いているのです。            キリストの福音は、「罪の赦し」の福音です。そして、罪の赦しの福音であるがゆえに、それはまた「病の癒し」の福音でもあるのです。                                     主イエスの御手に触れられ、また主イエスの御言葉を聴くことができる。それは、赦しを受ける経験であり、また癒しを受ける経験です。それはまた、信仰者としての悔い改めの経験であり、同時に霊肉共に健やかさの回復の経験なのです。