2018年9月30日

「死で終わらない」

 マルタとマリアの弟ラザロが死に、墓に葬られて、すでに4日も経っていたとあります(17節)。場所はベタニアという村です。    兄弟ラザロを失って、マルタとマリアの姉妹は、嘆きのただ中にいます。ところで、ベタニアという村の名前には意味があります。

 旧約聖書の中には、「悩み」という言葉がたびたび出て来ます。それはオニーという言葉で、ベタニアのアニアはこのオニーという言葉と結び付き「ベス・オニー」、つまり「悩める者の家」となり、そういう意味を持った地名であると言うことです。    このベタニア、「悩める者の家」は村の名前ですが、同時にこれは、私たちが生きているこの世界、私たちのこの世、私たちが人生を過ごしているこの社会こそが、「悩める者の家」であると言ってもよいのではないかと思うのです。                      そのような中で、マルタとマリアの姉妹は弟ラザロの死を経験します。愛する人の死が、この悩める者の家の中でも、避けて通ることの出来ない究極の悩みとして起こっています。しかし、そこに、主イエスがやって来られる。これがこの聖書の御言葉が伝えたいメッセージです。

 私たちはベタニアという悩める者の家にいるようなものですが、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と語りかけてくださる主イエス・キリストが、ベタニア(悩みのただ中)にやって来られ、共に涙を流してくださるのです。  そして、ベタニアという場所で、主イエスは、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)と語ってくださるのです。