2018年9月16日
「だれでもキリストにあるならば」
先週の礼拝では、「敬老祝福式」を執りおこないました。愛する信仰の先達のご健康を祈りたいと思います。 今月は、「教会学校月間」です。日本バプテスト連盟では、教会学校について次のように掲げています。
「バプテスト教会では特に、聖書の学びと伝道、教会員の成長のために、全年齢層にわたる教会学校の働きをすすめています。これは、バプテスト教会が、教会員が自ら聖書を学び、祈り、伝道する教会の宣教の主体であるという主張をもっているからです。ですから、教会員は教会学校の使命と目的を理解し、教師、書記として、また参加者の一人として、この働きを担ってください」(教会員手帳P.52)とあります。
川崎バプテスト教会では、赤ちゃんから成人まで、それぞれの年代にあった8クラスを設けて、教会全体で取り組んでいます。その働きに呼応して、教会学校への出席者と礼拝出席者の人数が、ほぼ同じであることはみなで喜び合いたいと思います。
近年、教会学校のメンバー(生徒)だけでなく、リーダー(教師)の数も減少傾向にあります。「教師でなければ、生徒に」と、すべての年代の方がこぞって教会学校に参加していた頃の意気込みもマンネリとなっているのではないかとも言われます。はたして、そうなのでしょうか。 そのような思いに包まれたとき、あらためて教会学校とは何か、クラスとは何なのかを確認し、分かち合いのために準備しておられるリーダーの方々の存在と、そこに招いてくださる主イエス・キリストの御顔と十字架を思い起こし、教会学校の原点から共に出発したいと思います。