2018年7月1日

「起き上がりなさい」

 聖書は、「さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた」と語ります。38年と言えば決して短くはありません。ひょっとすると、ベトザタの池のほとりにいる人の中では1番長くそこにいる人だったかも知れません。                                              主イエスは近奇って「良くなりたいか」と声をかけられます。このように言われたなら、むっとするのではないでしょうか。しかしこの人は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」と嘆くのです。もはや自分には癒されることはない、誰も助けてくれないのだから、という絶望感が彼を包んでいたことでしょう。 本当は助け合わなければならないはずなのに、このような最も弱い人がいるところで、誰も彼も自分が癒されることだけを考えています。そのために見捨てられたようになっているこの男に、主イエスは語りかけられます。主はまず「治りたいのか」と尋ねられました。この人が「良くなりたい」という意志があるかないかを確認されるのです。    「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」という主イエスの呼びかけは、実は私たち一人ひとりに語りかけられている言葉でもあるのです。

 私たちが「誰も私のことをかまってくれない」と嘆き悲しんでいるときに、ちょうど38年もそこに横たわっていた人のように、床に横になりそこから立ち上がろうとしない私たちに、「自分の足で起き上がりなさい、床を担いで歩きなさい」と言ってくださるのが主イエスなのです。                    主イエスの言葉に、私たちが応えていくときに、御言葉による奇跡が起こされていくのです。