2018年4月8日

「イエスが来て真ん中に立ち」

 主イエスの復活の出来事は、私たちに究極の希望を与えるものです。復活の主は、私たちを新しい命に招き入れ、朽ちることのない希望を与えてくださいます。そして、弱き私たちと常に共にあり、励まし支えてくださることを示してくださるのです。   もし、主イエスの復活がなかったなら、私たちにはキリスト信仰が与えられることはなく、私たちを真実に生かす希望もなく、罪の暗闇の中にとどまり続けなければならなかったでしょう。

 使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一15章において、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宜教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(同4節)、「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(17節)と記しています。パウロは主イエスの復活がなければ、すべてがむなしく意味のないものになってしまう。そして私たちは罪のただ中に置かれたままとなり、救いが与えられないと語ります。

 私たちの信仰にとって大切な出来事、それが主イエスの十字架の死と復活の出来事なのです。      また、もし主イエスの復活の出来事がなかったとしたら、主イエスの福音は十字架の死と共に消えてなくなってしまい、現代の私たちまで語り伝えられることはなかったでしょう。

 復活の出来事が実際に起こったからこそ、あの十字架にかけられ処刑された主イエスが「神の子」であり、「キリスト」であることが私たちのうちに明らかにされ、そして今も主が私たちと共に生きて働き、救いの御業をなしてくださるのです。 今度は、私たちがそれをこの世に伝えるべく遣わされてゆくのです。