2018年3月4日

「イエス様の受難の予告」

 受難節(レント)の第3週に入りました。この期節、イエス様の受難への道行きから聞いていきたいと願います。    今日の聖書箇所は、マタイによる福音書16章13〜20節、21〜28節の連続した2つの物語からなっています。

 前半は、イエス様から問われたペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた信仰告白を中心とし、ペトロはイエス様から「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」(17節)といって、大変ほめられています。しかし後半では、一転してイエス様に厳しくしかられています(23節)。ペトロはイエス様からサタン呼ばわりされるほど厳しく叱責されています。最初ほめられたペトロが、なぜ一転して厳しく叱られるというようなことになったのでしょうか。

 今日の聖書には、このように、一方ではものすごくほめられたペトロと、他方では厳しく叱責されているペトロという両極端のペトロが出てきます。いったい、どちらのペトロが本当のペトロなのでしょうか。

 聖書が、ほめられたペトロとしかられたペトロを同じ箇所に続けて記しているということは、このどちらのペトロも本当のペトロなのだということを言わんとしているのだと思います。

 ペトロというひとりの人物の中に、フィリポ・カイサリアという異教の町の中でも主体をかけて堂々とキリストを告白するペトロとそのキリストがどんなキリストであるかを全く分かっていないペトロ。      この2人のペトロが同居しているということです。

聖書はペトロひとりだけの姿ではなく、イエス様の弟子たちすべての姿であり、そして私たち自身の姿でもあるのだと告げているのです。