2018年2月4日
「罪を赦される方」
福音書の記者マルコは、主イエスとユダヤ教の指導者たちとの対立の始まりを伝えます。 その家には大勢の人びとが集まりました。それは、癒しの奇跡を行うイエスを求めてというより、イエスが語られる御言葉を求めてのことです。しかし、人びとが御言葉を求めるところで、思いがけない癒しが起こされます。
イエスご自身は家の中、戸口に立ち、押し寄せる群衆は戸外にいるという様子を思い浮かべます。戸口から入ることはできなくなっていますが、家の中にはそれなりの空間に人がいるという状況でしょう。そこに4人の男に担がれた中風の患者が来ます。この人についてはこれ以上の記述はなく、病気の原因も病状も、その人となりも告げられていません。
この人を担いだ4人の男たちは人びとに阻まれて、イエスのおられる戸口に近付けません。そこで彼らは屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろしたとあります。いくら何でも彼らの取った行動はやり過ぎでしょう。 しかし「イエスはその人たちの信仰を見て」とあります。男たちと中風の病人の信頼と期待、イエスに近づこうとするひたむきさを見たのです。ここでイエスは「あなたの罪は赦された」と中風の人に宣言されたとき、この人の存在に関わる「すべての罪」に対して、「あなたの罪は赦された」と宣言しておられるのです。 しかしこのとき、主イエスの言葉に抵抗を覚えた人びとがいました。そこに居合わせた律法学者たちにとって、人間に対して罪の赦しを与えることが出来るのは、神だけであって、それを人間であるイエスという者が自分の判断で行うのは、許すことの出来ない神への冒瀆行為として受け取られたのです。