2018年2月11日

「福音を恥としない」信教の自由を守る日

 今日211日の「建国記念の日」に異議を訴えるキリスト教界では、この日を「信教の自由を守る日」として、各地で集会が開催されます。   

 211日が「建国を偲び、国を愛する心を養う日」の建国記念の日として国民の祝日に制定されたのは1966年でした。50年以上にわたり知られている「祝日」ですが、キリスト教界は危惧し続けています。  それは建国記念の日とされる211日が、史実とは言えない古事記や日本書紀にある日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日とする紀元節に由来し、「元号」とは天皇(皇帝)が時間をも支配するという中国の思想を取り入れたものだからです。

 1873年に始まった紀元節は、戦前には全国の神社で「紀元節祭」や「建国祭」が行われ、神権(現人神)天皇制軍国主義・国家神道体制を確立させる中心的祭日となっていきました。学校や職場で、日の丸掲揚、君が代斉唱、「御真影(天皇の写真)」の前での「教育勅語」「奉読」、「神武天皇東征」「皇室のありがたさ」等が説かれ、偏狭なナショナリズムが植えつけられていきました。   

 キリスト教界も、当初は信教の自由を圧迫され迫害される被害者でしたが、やがて戦争に組み込まれ、加担し、加害者になっていったのです。  敗戦後、戦前の天皇制を一新するというGHQの意向のもとで紀元節は廃止されましたが、「建国されたという事象そのものを記念する日」という解釈のもと、「建国記念の日」が設置されたのです。つまり、日本の国は天皇によって建国され、臣民は国を愛する心を養うというのが、「建国記念の日」制定の意図にあるのです。   

 最近の政治状況を見ると、いつか来た道を歩もうとしているかのようです。