2018年8月5日

「人を裁くな」

 川崎バプテスト教会を含む、日本バプテスト連盟に加盟する諸教会・伝道所は毎年8月を「平和宣言月間」としています。ひとりひとりの祈りを集めて、まず私たちから平和をつくり出して行きましょう。

 今朝の聖書箇所マタイによる福音書7章1節で、主イエスは「人を裁くな」と言われます。この言葉が示しているように、ここから始まって5節まで続くこの箇所は、「裁き」について語られたものです。しかし、その「裁き」とは何でしょうか。「裁くな」とは、どのようなことなのでしょうか。

 主イエスは、この「人を裁くな」という言葉に続けて、「あなたがたも裁かれないように」するためであると言われます。ここで「裁かれない」と受身で言われているのは、「神」という主語を使うのを遠慮して用いられた表現です。ですから、「裁かれないため」というのは、終末の日に神に裁かれないため、という意味です。主イエスが、「人を裁くな」と言われるとき、それは終末の日を見通した中で語られた言葉だということができます。   しかし、なぜ人を裁く者が、終末の日に神の裁きを受けなければならないのでしょう。それは、人を裁くことが、私たちと隣人の関係を破壊します。それだけではなく、先ず何よりも、人を裁くということは、終末の日に主なる神が行なわれる裁きの業を、人間が先取りすることになるからです。つまり、人を裁く者は、神の似姿として創造された人間が、自分を神の座に据えて神を裁いていることになるのです。それが、主イエスがここで「人を裁くな」と言われる、その理由です。