2018年8月19日
「その時が来るまで─神の忍耐」
今年も8月15日に、「敗戦の日」を覚えて過ごしました。平和への決意を新たにされたことと思います。
私たちが「主の祈り」の中で「御国が来ますように」と祈りつづけてから、すでに2000年以上の時間が経ちました。しかし、今もなお「神の国」は私たちの前に実現せず、またいつ到来するとも分からない日々が続いているかのようです。私たちには「神の国」の到来が遅すぎると感じられることがしばしばあります。 しかしながら、そのことに思いを巡らす時、そこには神のこの世への量り知れない深い恵みと憐れみが働いていることに気付くこともできるのです。
「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」主人はそう命じるのです。神の国が来るその時まで、私たちが自分勝手に性急な答えを出すことは許されません。 私たちの成すべきことは、神から示された「この時代・この世界」の中で、「神の畑」をあずかり、神の僕としてこの「畑」を耕しつづけることです。 それは、まさに時が良くても悪くても、御言葉の種を蒔き、水を遣り、畑の作物が育っていくのを祈りつつ見守ることです。 たとえ、それが「毒麦」の入り混じっているような時代であり世界であったとしても、神は私たちがそこで働くことをお望みになりました。
キリストの信仰とは、神のお望みになったように私たちが生きることを志すことであり、どんな時代や世界、状況の中にあっても、「しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る」ということにほかならないのです。