2018年12月23日
「キリストの降誕─心を澄まして」
聖書を読んでいくと、神の現れる場所や時間、神が現れる人びとには、ある一定の傾向というか、条件というようなものがあるように思われてなりません。 それは「貧しさ」とか「恐怖」、「悲しみ」、「不安」、「差別」、「いじめ」などといった「苦しみ」のもとに置かれた人びと、しかも自分のせいではない「ゆえなき苦しみ」のもとに置かれた人びとの前に、神はまず現れるというようなものです。
今日の、羊飼いのもとに最初に天使が遣わされたという物語は、このような視点から見る時、むしろ自然な成り行きであったといえるでしょう。 神は、羊飼いたちが「信仰深い人びとだったから」とか「優れた人びとだったから」、彼らを招いたわけではありません。神が彼らの人柄や彼らの生き方を評価したために、天使を送ったというわけではないのです。 神は、この世において彼らの仕事が「卑しい」とされ、「盗人」のような存在として軽蔑されていたからこそ、まず彼らのもとへ天使を送られたのです。
「貧しい者」、「恐れる者」、「悲しむ者」、「不安の中にある者」、「差別されている者」、「いじめられている者」、つまり「ゆえなくして苦しむ人びと」を、神は招かれるというメッセージこそ、ルカによる福音書の「天使と羊飼い」の物語が伝えるクリスマス・メッセージなのです。
そのことを、私たちがきちんと受けとめるなら、現代の「羊飼い」にあたる人びととはいったい誰なのか、神は、今日、地上のどの場所にまなざしを注ぎ、誰のもとに天使を遣わされようとしておられるのかということを、私たちもまたしっかりと考えるクリスマスにしたいと思います。