2018年11月11日

「母よ、子よ」

 創世記21章には2人の母親が登場します。1人はアブラハムの妻であるサラ、もう1人はもともとサラの奴隷だったハガルという女性です。   私たちは「母親の子どもに対する無償の愛は、神の人間に対する愛にもっとも近いものだ」ということを聞くことがあります。                       たしかに無力な赤ん坊に対して生まれた時から養い育ていつくしむ、そうした見返りを求めない愛情、無制限の純粋な愛情は神の愛に近いものだといえるかもしれません。しかしまた、そうしたわが子への無条件の愛が1つ間違えるととても残酷な形で現れることがあるというのももう1つの事実です。サラの場合がそうでした。

 サラは純粋に徹底してわが子イサクを愛していました。彼女はイサクの将来まで含めてわが子のことを思いやっていました。そうしたわが子への愛が「あの女とあの子を追い出してください」という無慈悲な言葉を生んだのです。このハガルとイシュマエルの親子をその名前で呼ぼうとさえしません。サラにとって2人は奴隷とその子どもにすぎないのです。   サラにとって、わが子イサクにとって、そしてアブラハムも加えた一家にとって、この2人は危険な存在であり、排除すべき対象でしかなかったのです。

それもこれも彼女の母親としての愛のなせるわざでした。サラの「母の愛」は、この場面でハガルとイシュマエルの親子に死をもたらすような「母の愛」となったのです。

「母の愛は神の愛に近い」ということはその通りだと思います。けれども、「神なき母の愛」というものは、しばしば残酷な恐ろしさを現すこともあるのだということを、私たちは覚えておかなければならないでしょう。