2018年10月14日
「主イエスと共に」
今朝、私たちは天に召された兄弟姉妹を覚えて「召天者記念礼拝」を献げています。 ご遺族の方、ご友人であった方、教会において共に信仰生活を送った方など、さまざまな交わりとつながりの中で、たくさんの方がこの場に集っておられます。召天された方々のお名前を記した「天上の友」の名簿を目にしながら、私たちはそれぞれの懐かしさと寂しさと、またさまざまに今も胸に込み上げてくる思いをもって、すでに神のみもとに召された人びとのことを想い起こします。
しかしまた、今日私たちはそのようにして召された人びとのことを記念するというだけでなく、私たち自身にとっても大切なことを覚えたいと思います。
私たち人間はそれぞれ人格を持ち、それぞれの人生を送るのですが、2つだけすべての人に共通する事実があります。1つは「誰もがいつかどこかで生まれてきた」ということであり、もう1つは「誰もがやがていつかどこかで死ぬ」という事実です。この2つの事実こそが私たちすべてに共通する厳然としたものです。 けれども、現代社会では私たちにとってこうした生と死の問題が見えにくくなってきているというか、見えにくくされている、意識的にまた無意識のうちに、私たちの生活から遠ざけられ隠される傾向があるのではないかと思うのです。
今この時この世にあって神を信じ、主イエス・キリストに従う生を選び取ることは、それによって私たちがすでにこの復活の命へ、新しい真の意味ある生へと招き入れられているということにほかなりません。 この礼拝は、召された方々を想い起こすと共に、私たち自身の死を覚え、そしてその死に至るまでの私たちの人生や生き方を顧みる時でもあるのです。