2017年4月2日

「十字架の道の途上」

 今週の聖書箇所では、ペトロと共に最愛の弟子であったヤコブとヨハネが、主イエスの愛顧につけ込んで、弟子の中で高い地位を得ようと企てたことを伝えています。

 この物語が記録されるようになった背後には、初代の教会の中での12弟子の格付けに関係しているという説があります。コリントの教会では、教会の指導権をめぐって「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」と、さまざまな党派ができたと言われています(Iコリ1:12)。  そのような教会の指導者の順位をめぐる議論の中で、主イエスの生前にもヤコブとヨハネが第一の弟子にしていただきたいと願ったことが思い出されたと考えられます。そう考えると、これは、ヤコブとヨハネだけの問題ではなく、すべての人間の心の内にひそむ、権力欲、人の上に立ちたいという欲望が、この物語の背後にあることを気づかされます。      主イエスは、御自分の弟子の中で十二人を選んでこれを使徒にされました。これは神の民であるイスラエルの十二部族にたとえられます。しかしそれは、彼らが仲間の上に立って支配することが目的ではなく、仲間と共に生きるために仕えるという、使命と責任を果たすためでした。権力を振るって支配するのでなく、仕えるためでありました。   このことは特に、苦難と十字架の道を歩み始められた主イエス御自身が、自分の道として強く自覚しておられました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:45)と言われました。

 主イエスはここであらためて、御自分の道が「仕える者」の道であることを示し、弟子たち、そして私たちにもこの道を歩むように教えられたのです。