2017年1月15日

  「私の隣人」

春日純二 

隣り人であるということは、だれが隣り人なのかと自分が品定めをすることではなく、

他者が自分に要求していることなのである。自分自身が隣り人となることであって、そう

でなければ無意味である。

どのような瞬間にも、どのような状況にあっても私が行動するように、従順であるように

とうながされているのだ。他者を品定めするための時間はまったくない。

私はいま行動し聴き従わなければならない。私は今他者にたいして隣り人とならなければ

ならないのである。しかし、もしあなたが驚きながら、「私は、行動する前に、いかに行動

すべきかということをあらかじめ知り、あらかじめ考えておかなければならないのだろう

か」と問うなら、それに対してただ次のような指示が与えられる。

「従順とは何であるかということを学べるのは、ただ聞き従うことに於いてだけであっ

て、問うことによってではない。」

従順において初めて私は真理を認識するのである。われわれを良心と罪の悩み苦しみから

ひたむきな従順へ導くのはイエスの呼びかけなのである。

                         ディートリヒ・ボンヘッファー