2017年9月24日

【キリストにつながる家族】

                                          執事 伊藤慎介

 昨日から、奥多摩でファミリーキャンプが開かれております。私たちは、キリストに繋がる家族・ファミリーであります。その家族の絆を深めるキャンプに多くの方々が参加されています。

 本日の聖書箇所は、有名な、傷ついた旅人の隣人になったサマリア人のたとえ話を選ばせて頂きました。信仰を持ち合わせ、律法を守るべき祭司やレビ人は、傷ついた旅人を見捨てた一方、サマリア人は憐みを持ち、旅人を介抱した、そのように記されています。

 イエス・キリストはこのたとえ話を通し、律法を知っていても、隣人を愛せなければ意味が無い、と私たちに伝えているのでしょうか。「わたしの隣人とはだれですか?」との問いに対し、イエスは「だれが隣人になったと思うか?」との問いで返しています。自分にとって、だれが隣人なのかではなく、自分がだれの隣人に成り得たか、その事を強く私たちに訴えかけています。

 イエス・キリストは私たちに、キリスト者としての生き方とは、主を愛し、その上で、自らが隣人となりなさいと、伝えて下さっているのではないでしょうか。

 私たちは、この川崎教会に集う家族・ファミリーです。互いに隣人となり、支え合い、この家族の輪が大きくなっていくことを願っております。