2017年7月23日

「狭き門より」

「狭き門」とは、フランスの小説家アンドレ・ジッド(18691951年)による小説の題名にもなりました。この小説は、今週の聖書のイエス・キリストの言葉に由来しています。

 有名大学や人気企業に入るのは「狭き門」だと言われます。「今年は昨年よりもさらに狭き門になった」などというような使い方をします。   「狭き門」とは、確かに聖書からの言葉ですが、聖書そのものを読んでみると、ずいぶん違うことがわかります。     有名大学や人気企業がどうして「狭き門」なのかと言えば、みんなが入りたいけれども、そうはいかないからでしょう。それは競争率が高いからです。しかし、イエス・キリストは、そういうことを言おうとされたわけではありません。入りたくても入れない「狭き門」ではなく、誰も入ろうとしない「狭き門」という意味なのです。

 人生は選択の連続です。大小さまざまな選択があります。私たちは、誰しも初体験の人生を生きています。自分の人生を大きく左右するような決断をしなければならない時があります。その時に、何を基準にして道を選び取るかということです。あるいは、そのような大きな決断だけではなく、私たちは日々、無意識のうちに小さな決断をしながら、何かを選び取って生きていきます。   私たちが真剣に祈る時、どちらに進むべきかを神様ご自身が示してくださいます。

 キリストに従って行く道は、確かに狭い門、細い道です。しかしそれを歩む時、実は私たち自身がこの世的な成功とは違う、神様からの祝福をいただいていることに気づくでしょう。