2017年7月2日
「赦します」─主の祈り6
主の祈りの後半の2つ目は、「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」(マタイによる福音書6章12節)という、罪の赦しを求める祈りです。
礼拝の冒頭に唱和している「主の祈り」では、「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という言葉です。
「罪」とは何でしょうか。法を犯すようなことをすることでしょうか。そうだとすれば、「私はそれほど悪い人間ではない」と思われるかもしれません。 特に、私たち日本人には、罪ということがよくわからないと言われます。それは聖書に記されている神と人との物語を知らないからだと思います。 この祈りを祈る時に、私たちは口ごもってしまいがちです。それは、「とても私は自分に負い目のある人を赦すとは言えない」という現実があります。 この祈りは、私たちが隣人を赦すことが、私たち自身が赦されることの条件であるかのように聞こえます。しかしそうだとすれば、いったい私たちの誰が赦され救われるでしょうか。 私たちの罪が赦されるとすれば、それはただただ神様の憐れみによるものです。それが聖書の語っているたいせつなことです。
主イエスは、私たちに「こう祈りなさい」と教えられました。ですから口ごもりながらも「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」と祈るのです。 そう祈ることが許されているということであり、「そう祈れ」という命令でもあります。そして、「私も人を赦せる人間になろう」と祈るたびに決意を新たにするのです。