2017年5月28日

「御名があがめられますように」─主の祈り2

 先週から「主の祈り」を、一つひとつ丁寧に学びを進めています。

「主の祈り」の前半の「御名が崇められますように」「御国が来ますように」「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」とは、神についての祈りです。

 後半に続く「わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください」「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」、これらは人についての祈りです。 主イエスは、まず神について祈るように教えられました。人についての祈りが切実なものであるからこそ、まず神について私たちは祈らなければならないのだということです。    祈りとは、人が神様に願い事をすることだと思っている人にとっては、神についての祈りというと変な感じがするかもしれません。しかし、聖書によれば、人は神によって創造され生かされている存在なのです。またこの世界も歴史もみんな主なる神のものです。ですから、神の立場がしっかりと立てられなければ、人の生活も崩れてしまうでしょう。

 神が神として立てられ崇められて初めて、人の生活もしっかりと根を張ることができるのです。「御名が崇められますように」という神についての祈りは、まさにそのことを祈るのです。   自分の生活においても、神様を神様として扱い、世界においても、神様が神様として扱われることを願うのです。     「御名が崇められますように」とは、そのように神が他の一切のものとはっきり区別されて、すべての中心に来ますように、ということです。これが祈りの初め、すべての初めなのです。