2017年4月23日

「新しいはじまり復活の意味」

 先週は主イエスの復活イースターをお祝いしました。そして礼拝後、定時総会を行いました。たくさんの兄弟姉妹が参加してくださいました。2016年度の歩みの上に、主の豊かな守り導きがあったこと、その恵みを数え分かち合うことが出来たのではないでしょうか。   復活したイエスがどこにいるのか、弟子たちも女性たちも混乱していました。しかし、その混乱の真ん中に、復活のイエスはいたのです。復活は、理解してわかることなのではなくて、感じて気づくことだったのです。

「主イエスは今も生きて、働いておられる」と復活したイエスを表現することがあります。主イエスの復活の出来事から二千年以上の時間が経っても、復活のイエスの働き(=聖霊)をうけてイエス・キリストの信仰をもちたいと告白する人びとはいなくなりませんし、復活したイエスをキリスト(メシア=救い主)と告白し賛美するキリストの教会もなくなりませんでした。それは、まさに復活のイエスは今日も生きて、働いておられることの証となっています。 聖書では、ある出来事が記されるとき、事前に予告されていたことが実際に起きたというかたちで描かれることがあります。旧約聖書では、メシア誕生の予告がなされていました(イザヤ書7:1以下、同9:1以下など)。そして新約聖書に入るとメシアであるイエスの誕生が記されます。イエスは約3年間の宣教活動の後に、十字架と復活と昇天の出来事を経験されました。 その昇天の直前にイエスは弟子たちに言いました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒言行録1:4)。別の箇所では聖霊を与える約束(ヨハネ14:15以下など)として記されています。この約束が、キリストの教会の誕生を予告しているのです。