2017年4月16日

「主イエスは復活なさって」

 主イエスの復活(イースター)をおぼえる朝です。聖書を読む私たちに告げられるメッセージは、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」(6節)という決定的な知らせです。

 四つの福音書が一致して記録していることは、イエスを納めた墓にイエスの亡きがらは見当たらず、墓には何もなかった、空であったという事実です。   当時、祭司長や長老たちは墓の番兵たちを多額の金で買収し、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」(マタイによる福音書28:13)と言わせます。そして、「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(同15節)と記されています。

 イエスが復活されたその日以後、「あのお方は復活なさって、ここにはおられない」というよき知らせと、イエスの死体は弟子たちが夜中に来て盗んだのであって、イエスは復活したのではない、という偽りの宣伝とが告げられていきました。しかし、世界の各地に誕生していったキリストの教会の存在は、イエスを葬った墓は空で、イエスの復活が事実であったことを証ししています。   人間は死んだらそこで一巻の終わり、すべては無に帰すのだという考え方があります。しかし、キリスト教においてイエスは肉体の死に打ち勝ち、復活したのだという信仰が示されています。    主イエスの復活がどのような仕組みで起こったかということを、分かりやすく説明するのはむずかしいことです。しかし聖書には、弟子たちをはじめ多くのキリストを信じる人びとが、復活したイエスと出会い、元気づけられたことを記しています。もうここで終わりだというところから、希望をもってあらためて出発できる。イエスの復活にふれるということは、そのようなことだと言えるのではないでしょうか。