2017年1月29日

「深きあわれみ

 先週、定期総会の中で、2017年度の執事の方々が選出されました。

「執事」とは、キリストのからだなる教会がその福音宣教の使命と職務を十分果たしていけるように、教会の働きのすべての面において、牧師と共に働く務めを託されているといえます。また「助け手」であるとも言えます。それは、男女関係においてと同様(創世記2:18参照)、上下関係でなく、パートナーという意味でもあります。お働きをおぼえて、日ごろのお祈りに加えていただければ幸いです。

 さて、この物語に登場してくるような「重い皮膚病」の患者は、当時、肉体的に悲惨な生活を強いられていただけでなく、宗教的にも神の刑罰を受けた者であると考えられて、人びとから忌み嫌われていました。    家族を離れて郊外に住み、道を歩くときにも自分の方から、口を覆うようにして「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と叫び、人が自分に触れることがないようにしなければなりませんでした(レビ13:45)。  この「重い皮膚病を患っている人」のひたすらな叫びに対して、主イエスは「よろしい。清くなれ」(1:41)と答え、直ちに彼を癒されました。このように病気を癒し悪霊を追い出すことは、当時の宗教の世界では広く行われていたようです。しかし福音書が主イエスについて報告している場合の特徴は、その癒しの過程については、きわめて簡単にしか書かれておらず、その力点が主イエスの言葉に置かれている点です。              主イエスが彼を癒そうと決意され、彼に親しく語りかけられたので、この人は癒されたのです。何よりも癒しの根本は、癒し主であるイエス・キリストを迎えることでした。