2017年1月1日

「ナザレの人と呼ばれる新年礼拝によせて」

 2017年という、新しい年を迎え、ご挨拶を送ります。2016年はみなさまにとってどんな年だったでしょうか。みなさまにとって、この新しい年がすばらしいものとなりますよう、お祈りいたします。

 さて、121日(土)から「沈黙」という映画が公開されます。この映画の原作は、自身もカトリック信者であった遠藤周作(19231996年)さんが1966年に史実や歴史文書に基づいて創作した歴史小説です。

 このたび、マーティン・スコセッシ監督が、原作と出会ってから28年、いくつもの困難を乗り越え映画化を実現することができたとのことです。何より、マーティン・スコセッシ監督ご自身が、若い頃牧師への献身の道を志し、神学校へ進むことも考えたそうです。ですからこの映画への思いもひとしおではないかと想像するのです。 物語の内容は、17世紀、日本は江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされるイエズス会の高名な神学者である師クリストヴァン・フェレイラ(沢野忠庵:さわの ちゅうあん)の真実を確かめるために、ポルトガルから長崎にたどり着いたフェレイラの弟子の司祭たちセバスチャン・ロドリゴ(モデルとなったのはイタリア出身の実在の神父ジュゼッペ・キアラ)とフランシス・ガルペ。 

 彼らの目に映ったのは想像を絶する程の苛酷な弾圧でした。彼らに突き付けられたのは、キリストの信仰を貫くか、それともすり減った銅板に刻まれた「神」の顔を「踏絵」することで棄教し、拷問され続けている信者たちと自分の命を救うかの究極の選択を迫られます。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈りますが、神は「沈黙」を通すのみでした。これはまさに神と信仰の意義を、今に生きる私たちに問う物語です。