2017年7月15日
「種を蒔く人が、種蒔きに出て行った」
このたとえ話は、ふつう種を蒔く人自身よりも、その種が落ちる4つの土地に注目して読まれることの多い話のように思います。 ここに出てくる「種」とは「神の言葉」のことであり、土地とはそれを受ける人間の象徴であるとされていますから、このたとえ話は伝道や宣教について語られた物語であるといえます。
今月は「神学校月間」ということを覚えて、あえて種の蒔かれる土地よりも、種を蒔く人のこと、つまり「御言葉の送り手/語り手」に注目しながらこの物語をお分かちしたいと思います。
「種を蒔く人」の仕事は「種蒔き」であり、「種蒔き」の仕事をするからこそ「種を蒔く人」と呼ばれ、その人は自分に与えられた当たり前の仕事をするのです。しかし、その当たり前のことをする人がいなければ、そもそも種が芽を出すことや、まして育つこともありません。 それと同じように、私たちが伝道や宣教の課題を自分の仕事として受け止め、御言葉を語るという働きを果たせないなら、福音は伝えられることもなく、その力を発揮することもありません。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。
「御言葉の種」を蒔くという、主イエスから私たちに託された働きを、いつも忘れないようにしたいと思います。 そうしたことを想い起こす時、「種を蒔く人が、種蒔きに出て行った」という、この当たり前の言葉が、私たちの心に刻まれた言葉として浮かび上がってくるのです。