2016年8月14日
「神の創られた良い世界」
「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた」(マタイ13:24〜26)。
天の国が種蒔きにたとえられています。13章1〜9節にある「種を蒔く人」のたとえの続編のようです。 「良い種を蒔く者は人の子(=イエス・キリスト)、畑は世界」(同37〜38節)であるということです。
私たちはまずここから大事なことを聞き取りたいと願います。私たちの世界にはさまざまな問題があり、そこには怒りと嘆きが満ちています。しかしこの世界は、イエス・キリストによって、良い種が蒔かれたよい世界なのだと、聖書は伝えます。 創世記1章には、神が六日間で世界を創造されたと記されていますが、神は一日ごとに、それを「良し」とされました。そして六日目に、すべてのものをご覧になると、「見よ、それは極めて良かった」(創世記l:31)とあります。これがたいせつなことです。
もちろん、その良い世界にはそぐわないことが、日々起きているのも事実であります。それは「毒麦」が生えているというのです。僕たちはあわてました。 「だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう」(同27節)。
どうして、神様がお創りになった良い世界に、悪いことが存在するのか。私たちもこの僕たちと同じような疑問をもつのです。