2016年5月22日


「不思議な軛(くびき)

 軛(くびき)とは、二頭の家畜の首にかけ、畑を耕す作業などをさせる時に用います。軛があれば、軛なしには出せない力を出すことができます。ここで言う軛とは、神様に従って生きる道のことをあらわしています。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書1128節)と、主イエスは言われました。これは、聖書の中で、最も有名な言葉のひとつでしょう。「疲れた者」とは肉体的に疲れた人、「重荷を負う者」とは精神的に疲れ果てた人、と言う人もありますが、実際にはそう簡単に分けることはできないでしょうし、分ける必要もないでしょう。              私たちは何も重荷など負わされていないようであっても、見えない力に縛られて、自分ではどうしようもないこともあります。どうにも自分の状況を考える気力もなくなってしまう。いくら自分を束縛しようとする力を断ち切って自由になろうとしても、また別の力が私たちを拘束してくるようです。それは仕事であったり、家庭であったり、学校であったり、あるいは皮肉なことに教会であったりするかもしれません。さまざまですが、主イエスはそうしたすべての人に語りかけるのです。                                   「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。(同112930節)                                            主イエスに従う者は、主イエスの軛を負わなければなりません。ところがそれは、負いながら安らぎが与えられる、不思議な軛なのです。主イエスに従う時、私たちは荷を担ぐのをやめるのではなく、それを担いでいく勇気と大きな支えを得るのです。