2016年4月17日

「復活であり命である」

 マルタとマリアの姉妹にはラザロという兄弟がおりました。弟なのか兄なのかはこのギリシア語の表現からはわかりません。しかし、マルタとマリアもそれほど高齢ではなかったでしょうから、ここで亡くなったラザロもまだ若かったというふうに考えられます。マルタはラザロの死後四日たってから主イエスに言いました。 「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。(21節)

 この言葉には、マルタの大変残念な思いが込められていると思います。あるいは無念の思い。いくらか恨めしい、そういう気持ちも表れていると思います。もう死後四日もたってしまった。それに対するイエス・キリストの言葉はこうでした。

 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。(2324節)

「あなたの兄弟は復活する」とキリストは言われました。つまり、手遅れではない、万事休すということではない、と言われたのです。あなたの兄弟は復活をするのだと。

 イエス・キリストが与えてくださる約束は、ただ陰府からもとの命に帰ってくるということではありません。主は「わたしは復活であり、命である」と言われました。この命というのは、永遠の命です。よみがえって神の裁きを受けるというのではありません。よみがえって、裁きを突き抜けて、永遠の命を受ける、とここで約束されているのです。なぜならキリストは、私たちのために神の裁きを受けられ、私たちのために復活をされたからであります。私たちの罪に対する神の裁きは、十字架で終わったのです。

 イエス・キリストは復活をされました。私たちはそのキリストの命をいただくのです。裁きを越えた命を、私たちはキリストからいただくのです。これが永遠の命です。