2016年8月28日
「イエスの赦し」
主イエスは、毎日神殿に行かれて人びとを教え、夜はオリーブ山の麓の村に宿を取られました。そして「朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた」(ヨハネ8:2)とあります。
ところが、この祝福された朝の静けさを破って、「そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」(同3〜5)。これは「イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言った」(同6節前半)とあります。
この質問は、主イエスが、神の律法に照らしてこの女を石打ちの刑にせよと答えられると、イエスは愛の人と噂されているようだけれど、実はやっぱり冷酷な人だと、化けの皮をはがすことができる。またその反対に、愛をもって赦せと言われたなら、この人は神の律法に背く偽善者であると訴えて、すぐさま宗教裁判にかけることができる。ですから主イエスにとっては、どう答えても身の破滅をもたらすような、むずかしい質問を突き付けられたのであります。 そのような質問攻めにさらされる中で「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」(同6節後半)のです。この時、主イエスはうずくまって、一体何を書いておられたのでしょうか。