2016年4月3日
「いつもあなたと共に 〜復活の事実〜」
イエス・キリストの復活の出来事を理解するのは、とても難しいことかもしれません。しかし、この出来事があったからこそ、キリストの教会が生まれ、キリスト教が生まれ、また私たちがこうして出会うことが出来ていると言えるのです。
復活したイエスがどこにいるのか、弟子たちも婦人たちも混乱していました。しかし、その混乱の真ん中に、復活のイエスはいたのです。復活は、理解してわかることなのではなくて、心で感じて気づくことだったのです。
ドイツの神学者・哲学者である、ダーフィト・フリードリヒ・シュトラウス(1807〜1874年)は、『イエスの生涯』(1835年)において、キリストの復活についてこのように記しています。
「イエスへの信仰の起源は、彼の復活への確信である。生前にどれほど偉大であったにせよ、死に至らせられた者がメシアであるはずがないと考えられた。イエスの生への奇跡的な回復は、彼こそがメシアであったことをはるかに強力に証明するものであった。復活によって死の陰の国から解放されて、そして同時に地上の人類の領域の上までに挙げられて、イエスは今や天の領域に移され、神の右に位置するようになったのである。」
「主イエスは今も生きて、働いておられる」と復活したイエスをあらわすことがあります。復活の出来事から2000年以上の時がたっても、復活のイエスからの影響をうけてキリスト教徒になりたいと願う人びとはいますし、復活したイエスをキリスト(=救い主)と信じ崇め、賛美する教会もなくなりません。まさに、復活のイエスは今日も生きて、働いておられるのです。