2016年10月23日
福音の集い講師 野口哲哉
【詩「雪崩(なだれ)のとき」(石垣りん)】
雪崩のとき 人はその時が来たのだ、という
雪崩がおこるのは雪崩の季節がきたため、と。
武装を捨てた頃のあの永世(えいせい)の誓いや心の平静
世界の国々の権力や争いをそとにした つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があっても またよいものであった。
平和
永遠の平和 平和一色の銀世界 そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に 粉雪のように舞い どっさり降り積もっていた。
私は破れた靴下を繕(つくろ)い 編物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ そして ほっ、とする
ここにはもう爆弾の炸裂(さくれつ)も火の色もない
世界の覇(は)を競う国に住むより このほうが私の生きかたに合っていると考えたりした。 ~後略~
私たちは、この世界に対して、いったい、何をしようと言うのでしょうか。おびただしい難民を抱えるこの地球で。抱えきれないほどの憎しみや悲しみをたたえるこの地球で。この社会で。
この日本で。私は、私の人生に対して、いったい、何をしようと言うのでしょうか。
あるいは、教会は私や大勢の隣人に何をなそうとしているのでしょうか。
十字架のイエス・キリスト無しに出来ることがどれほどあると言うのでしょうか。むしろ、私たちは、十字架のイエス・キリスト無しに何もなし得ないことを告白するべきでしょう。そして、十字架と復活の主イエス・キリストが示されたあの瞬間から、再び、歩き出す。この福音を宣べ伝えるより他ないと歩き出した日に戻る。そこからまた始める。