2018年8月12日

「剣を取る者は皆、剣で滅びる」

「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書2:4)    これは終末の時、この世の完成の時に、主なる神がもたらしてくださる世界の平和を言い表した有名な聖句です。

 その時にはもはや剣とか槍という武器は打ち捨てられ、そうした武器から鋤や鎌といった農作業のための道具が生産されるというのです。

 神の支配は人間同士が相争うことの終わりを意味し、それに代わって人間が土を耕し、汗を流して働き、労苦と喜びを共にしながら、豊かな収穫にあずかる世界が到来することを表しています。

 旧約の預言者イザヤは、こうした終末への期待を今から2700年以上も前に語りました。ところが、現代においても、実はこの剣と鋤をめぐる問題に大きな変化があったのでしょうか。

 第2次世界大戦末期に物資が底をついた日本において、武器を製造するために家庭の鍋や釜、教会やお寺からは鐘までが供出させられたといいます。イザヤ書の預言とは逆のことが、戦時中の日本で現実に起こっていたのです。 それどころか、日本の国策により教会合同がなされて、プロテスタントの諸教派の多くは日本基督教団に合流しました。その日本基督教団の歴史を顧みると、1943年に「軍用機の献納」を決議し、教団を挙げて大運動を繰り広げ、陸海軍に2機ずつ戦闘機を献げたのです。言うならば「祈りを武器に打ちかえる」ような現実が実際にあったことを、私たち自身の過去の歴史として忘れないようにしたいと思います。

 人間とは、いざとなれば「鋤を剣に打ちかえる」ことを実践してしまいますが、反対に「剣を鋤に打ちかえる」ということには、なかなか思い至らない面を持っているようにも思います。