2018年5月13日

「すべての民をわたしの弟子に」

 今朝の聖書の箇所は、世界伝道の働きに決定的な影響を及ぼした箇所です。主イエスのこの御言葉は、プロテスタント世界伝道の「根本聖句」にもなりました。  「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と主は弟子たちに言われました。命じられた弟子たちは弱く脆い欠けの多い弟子たちです。主イエスが十字架にかかられる前の夜に、主を見捨てた弟子たち、復活され弟子たちの前に現れた時にも、なお疑う人がいたのです。 その弟子たちに向かって、主イエスは他の人びとを「主の弟子」にせよと命じられます。「主の弟子にする」とは、どういうことでしょうか。人間は、いわゆる最大多数の最大幸福を求め、そういう幸せこそが救いだと考えているかもしれません。

 聖書は「主の弟子にする」ことこそが「救い」であると言います。それ以外の救いを伝えようとはしません。他の救いでは、本当の人間の救いにならないからです。   聖書は、唯一の救いとして、「主イエスの弟子にされる」ことを挙げています。そのために「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け」、主イエスが命じられたことを守るように教えよと言うのです。

「主の弟子になる」ことがどうして「救い」なのでしょうか。「主の弟子になる」とは、「主イエスに属するもの」、「主のもの」とされることです。主の弟子になるのは、「バプテスマを受ける」ことによってです。

 バプテスマは「父と子と聖霊の名によって授け」られます。父と子と聖霊の名がバプテスマを受けた人を守ります。それによって私たちは、主イエスのものとされ、「父と子と聖霊」、三位一体の神の交わりの中で欠けてはならない存在として守られているのです。