2018年4月1日

「十字架と復活はすべてのために─イースター」

 2018年度の最初の礼拝が、復活日イースターが始まることは、とても喜ばしい感謝なことです。主なる神様のなさる業に、祈りをもって、期待して歩みを進めてまいりましょう。

 主イエスの十字架が立てられたゴルゴタという場所から、イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人物によって墓に移されました。アリマタヤのヨセフは最高法院というユダヤ人議会の議員でしたので、処刑された者の遺体を引き取るという力を持っていたと考えられます。彼は自分の持っている墓にイエスを葬ったと記されています。葬るという字は、葬儀の葬という字です。死者に対する言葉です。ヨセフもイエスの死を受け入れたからこそ、引きとって墓におさめたのです。仮死状態だったとか、そういうことではない完全な肉体の死でした。 ゴルゴタに放置されるのを見ていられなかったアリマタヤのヨセフは、せめて最後は丁寧に葬って上げたいという気持ちだったでしょう。

 マグダラのマリアたちは、イエスの仲間だと思われようが構わずにとりあえず墓に行くのです。アリマタヤのヨセフについても、議会の議員である彼がイエスの遺体を引き取って真新しい自分の家の墓におさめるという、これは彼にとって議員生命の危機どころか、彼自身の命にも関わる危険行為だったかもしれません。それでも彼はそんなことは構っていられないとばかりに、イエスの遺体の引き取りを申し出たのです。

 しかし女性たちもヨセフも、ここでイエスの死を「死の象徴」である墓を中心にしか考えられないということが分かるのです。 そうです、主イエスは墓の中にはおられず、復活なさったのです。