2017年8月13日

「平和を実現する人びと」

 今年も、まもなく「敗戦の日」をむかえます。失われたたくさんの無辜の人びとの命を思わされるとともに、私たち自身が平和をつくりだすものとされていきたいと、心から切に願うものです。

「平和」は、ヘブライ語ではシャロームという言葉です。新約聖書はギリシア語で書かれていますが、その背景には、このヘブライ語のシャロームの思想があります。    

 シャロームというのは、何かが欠けたり、損なわれたりしていない状態です。人間の生のあらゆる領域において、望ましい満ち足りた状態、それがシャロームということの特徴です。ですから「平和」の他に、「平安」「無事」「健康」「繁栄」「和解」などと訳すこともできます。    

 イエス・キリストは、「平和を実現する人々は、幸いである」と言われました。口語訳聖書においては、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」と訳されていました。  誰もが平和を愛し、平和を願っているはずです。しかし放っておいても平和が来るわけではありません。平和はつくり出されるものです。それは、私たちが波風の立たないようにして、問題をごまかすことではありません。同時に、力で押さえつけることでもありません。真剣に世界の諸問題を直視し、それが突き破られるように働くことなのです。  イエス・キリストは、そのためにご自分が和解の礎となって、十字架にかかられました。

 二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されました。これが神の子イエス・キリストの姿です。私たちもこのキリストの平和をつくり出す業へと召し出されて、キリストと共に十字架を担っていく時に、「神の子」と呼ばれるのです。