2017年7月16日

「人に厳しく、自分に甘く」

 私たちは自分のことはわからないものです。それは自分の顔は鏡や写真で見ないとわからないのと似ています。また自分の声は、自分にだけは違って聞こえます。たとえば録音された自分の声を聞くと、なぜか驚いたりします。    また自分の匂いにも、なかなか気づかないものです。慣れてしまうと匂わなくなる。たとえ匂ったとしても、自分の匂いは、あまり感じなかったりします。人の匂いには敏感でも、自分は特別だったりします。私たちは自分にだけは特別なものさしや、特別なはかりをもっていると言えます。

 欠点や罪というのも、そうではないでしょうか。自分の欠点には、案外気づかず、人の欠点には敏感なのです。自分の罪、自分の失敗には甘く、人の罪や失敗には厳しいのです。     私たちは、自分のことは棚に上げて、人を批判する傾向があると思います。そういう私たちに主イエスは言われます。 

 聖書の言葉は、信仰をもたない人であっても、生きる知恵として、たいせつなことを教えられます。人を批判する前に、まず自分が正しくあれ。そうすれば人からも批判されないであろう。そういう受け止め方もそれなりに意味があります。   ただこの主イエスの言葉を、もしそういう人間関係においてだけ理解するなら、一番たいせつなことを聞き落とす危険があります。

 私たちは、この言葉を語っておられるのが、神の子として父なる神から権威を委ねられたお方、イエス・キリストであるということを心に留めなければならないのです。