2017年4月30日

「岸に立たれる復活の主」

 ヨハネによる福音書では、この場面に出てくる湖をティベリアス湖と呼んでいますが、これはほかの福音書でガリラヤ湖と呼ばれている湖のことです。

 イエス様の弟子たちは、この時、エルサレムからここに戻ってきていたということなのでしょうか。

「わたしは漁に行く。」(ヨハネによる福音書21:3)そう言ってペトロは立ち上がりました。ほかの弟子たちも、ペトロについて立ち上がりました。私たちも一緒に行こうと言って、一つの舟に乗り込んだのです。しかし、その夜は何もとれなかったとあります。どんなにがんばっても、何も獲れない夜がある。 しかし、夜明けの光の中で、イエス・キリストは愛する弟子たちを見守っておられます。夜が明ける前の暗闇の中でも、すでにイエス・キリストは弟子たちを見守っておられたということです。   何も獲れない夜の間も、弟子たちがそれに気づかない間にも、イエス・キリストは彼らを一晩中見守っておられたのです。

 福音書が伝えていることは、どんな時でもイエス・キリストは、私たちを見守っていてくださるという事実です。    私たちにとって、人生の中ですばらしいことや、そうでないことが起ころうと、いちばん大事なことは、その出来事の背後にいつも主イエス・キリストが立っておられるという事実に気づくことなのです。