2017年2月26日

「放り出されたように見える時も」

 弟子たちは、夕方、舟に乗り込みました。主イエスが現れたのは夜明けごろであったということですから(25)、弟子たちは一晩中、逆風のために、波に悩まされていたことになります。  外は嵐が吹き荒れています。彼らの乗っているのは、大きなびくともしない船ではなく、いつ沈むかわからないような小さな舟です。  彼らの心のうちも穏やかでなかったに違いありません。                                      「そもそも、イエス様が自分たちを強いて送り出されたからではないか。こんな状況に導かれたイエス様の真意がわからない」。夜通し、悩み続けた弟子たちには、主イエスは自分たちをもう忘れてしまったかのように思えたかもしれません。                                          このような弟子たちの様子を見ていると、たとえ信仰をもっていても、不安になり、びくびくすることがあると、思い知らされます。信仰をもたない人と同じように、あるいは信仰をもたなかったころと同じように、嵐に遭い、その度に、恐れ、たじろぐのです。                                また弟子たちは、イエス・キリストが現れても、まだそれを幽霊だと思っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげてしまいます。

 神様は、時折、愛する者に特別な経験をさせられます。弟子としてしっかりと立つために、よりはっきりと「あなたは本当に神の子です」という信仰の告白をするために、「主は私たちと共におられる」ということを確信するために、特別に訓練させられるのです。                             主イエスご自身も、荒れ狂う湖の上にともに立ち、しっかりとペトロの手を握ってくださいました。このお方を、私たちも目を離さずに、しっかりと見つめて、前を向いて歩いていきましょう。