2017年12月10日

「キリストを身にまとい」

 イエス・キリストの降誕は、受肉とも言い、神が人となって世に来られたことをあらわします。それは歴史上ただ一度の出来事であり、クリスマスの祝いはそれを思い起こさせるものです。

 主イエスが人となって来られたことによって、この世界が終わりの時に向かい、今まさに終わりの時、主の再臨の時がますます近づいていることが明らかにされたのです。ただ一度、主は来られた、そして再び来られるのです。   それゆえに、待降節にこの聖書箇所から、一層主の再臨が近いことを分かち合い、心に刻みたいと願います。それは今年のクリスマスのためだけにではなく、主主が来られたクリスマスと、主が再び来られる待望をも緊張感を持ちつつ受け取りたいのです。

 パウロは、信仰生活について「イエス・キリストを身にまといなさい」と言います。これはバプテスマに結びついて語られます。バプテスマを受けていることは、キリスト者の強固な守りです。これに信頼することが自分を見失うことのない生き方をもたらすのです。

 バプテスマを受けていることはキリストを着ることであり、キリストを着ることはキリストと一つになることです。それは、神の一方的な恵みによってもたらされた出来事であり、そのことがキリストを着ている信仰者としての、最初のあの頃の自分へと引き戻すのです。


 キリストを身にまとう生き方に生きようとする、その生き方とは礼拝によって与えられるのです。礼拝は、今の時が主の降臨と再臨の間の出来事であって、「主の日」が近づいていることを明らかにします。


 この礼拝によって、週ごとに御言葉が新たに語られることによって、つねに私たちの時が留まることなく前進していることに気づかされるのです。