2016年8月21日

主の祈りは平和の祈り】            執事 渡邉亶

「平和のために働く人は、神からの力がある。その人は神の子とよばれる。」(マタイによる福音書5:9)(本田哲郎氏訳)

 わたしは、1939年に生まれました。この年に第2次世界大戦がはじまり、その2年後(1941)、日本は、この世界を二分するとてつもない戦争に参戦しました。 自分が生れて小学校に入学する(1945年)までの戦中と、焼け野原となった戦後の幼少期に、今では考えられないほどの生活を体験しました。

 アメリカ軍の爆撃機から日夜落とされる爆弾の恐怖、戦争によって疲弊した経済事情がもたらす食糧難(空腹)、物資不足、衛生状況の悪化等々、幼い心は「どんな理由があろうと絶対戦争は嫌だ!」叫んでいました。 その反戦の叫びは今でも消えていません。

 戦後71年、日本は平和憲法のもと、他国との戦争、紛争をせずに歩んできていますが、この地球上では争いが絶えることはありません。

 聖書では、この世界に神様の正義と平和がくまなく行き渡るのは、イエスさまが再びこの世に来られる終末の時であると告げていると共に、すでに来られたイエスさまによって、神の平和はこの世界に始まっているおり、それを創り出して行く使命をキリスト者は負っていることを伝えています。

 わたしは、平和への歩みを進める上で、その力の源は、イエスさまが弟子たちに教えてくださった「主の祈り」にあると思っています。 主の祈りは、わたしの祈りであると共に、「われらの祈り」です。このわれらの中に、私たちはどのくらいの人々をイメージして祈っているかを常に課題としながら、真剣に「主の祈り」を祈る時に、私たちは平和のために働く人へと導かれてゆくのではないでしょうか。