2016年7月31日


ここから、全地へ―旅立ちへの招き―

バベルの塔の物語のあらましは、以下の通りです。

ノアの時代に起こった洪水の後、人々が、平野に住居を建てるようになった。町が発展し、人口が増えていく中で、ふと思う。他の人々よりも有名になりたい。一方で、このままだと、自分たちは、バラバラになってしまうかもしれないとあせる。そこで、天まで届く塔を造ろうとする。その様子を降って来て見た神さまは、これはまずいぞ、と思う。神さまが、言葉を混乱させた結果、人々は散り散りになり、塔は完成されないまま、放置された。

この物語は、人間の傲慢、思い上がりに対して神さまが罰を与えた話なのでしょうか。人々が塔の建造にあたった理由、名声を得ること、忘却への不安に対して、聖書はどう語っているでしょうか。神さまは、アブラムに約束されます。

 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。」(創世記12:1, 2) そして、神さまに見捨てられた、忘れられたと嘆く人々に告げます。

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻み付ける。」(イザヤ書49:15,16)

 「バベルの塔」の物語は、自分さえ良ければと、自己中心に陥ってしまう、人間の愚かさを一方では語っています。しかし、引き起こされた言葉の混乱は、神の罰ではなく、小さくまとまろうとする人間に与えられたチャレンジです。神さまがアブラムにされた約束の前に、すべての人々が、時間、場所、関係性の拡がりの中へ招き入れられ、と同時に「さあ、ここから、いってらっしゃい」と送り出されてもいます。 (記:元川信治神学生)