2016年7月3日


「新しい人を身に着け」

 聖書の中には、読んで、心穏やかでなくなる箇所がいくつかあると思います。たとえば、五つのパンと二匹の魚で五千人以上を養ったとか、湖の上を主イエスが歩いた、といった奇跡の話に抵抗感をおぼえる人がいるかもしれません。また、勧告あるいは戒めが記されている箇所で、そこから挑戦されていると受けとって抵抗を感じる場合もあるのではないかと思います。 

「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」 -コロサイの信徒への手紙35-

 私たちは貪欲な社会の中に生きていますから、開き直る人もあるいはおられかもしれません。あるいは自分の中にある情欲を指摘され、傷つき、こうした聖書の箇所をどう受けとめたらよいのか戸惑い、苦しみを覚え、良心のうずきを感じる場合もあるのではないでしょうか。このような御言葉をどう受け取ったらよいのでしょうか。

 私たちは自分を反省し、自分の中にある罪を糾弾すべきでしょうか。一体、聖書は私たちを攻撃し、傷口を大きくしようとしているのでしょうか。この勧告や戒めはどういう意味、どういう文脈で記されているのでしょうか。「貪欲を捨て去りなさい」と言われ、「口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい」と言われています。しかし私たちはつい最近を顧みても、貪欲な自分であったり、口から恥ずべき言葉を語っていなかったでしょうか。しかし聖書がこれを語っているのは、自分を恥じよとか、自分を否定せよというのではありません。

 以前はその中にいた、しかし今はそれを捨てなさい、というのです。「以前」が終わり、「今」が始まっている。この転換、一大変化が、聖書の語っていることではないでしょうか。