2016年2月28日

 「イエス、死と復活を予告する」

 聖書に登場する人物の中で最も人気のある人といえば、やはりペトロではないでしょうか。彼の魅力は、良い意味でもそうでない意味でも、実に「人間くさい」という点にあるでしょう。福音書の冒頭の弟子選びの場面では、主イエスの招きに従ってすべてを捨てて颯爽(さっそう)と旅立つペトロでした。熱心ではあるけれど、しばしば主の御心を理解しそこなうペトロ。主イエスとの最後の夜に「自分だけは裏切らない」と誓っておきながら、たちまちのうちに主イエスを「そんな男は知らない」と断言するペトロ。そうした自分のダメさかげんに愛想をつかし、ボロボロと涙を流すペトロ。そして復活の朝、主イエスの再度の招きと赦しと委託に奮い立つペトロ。ところが、それにもかかわらず、またまた失敗を繰り返し、パウロから非難されるペトロ(ガラテヤ2:11以下参照)。

 そんな人間でありながら、なおも憎めないペトロが、この主イエスの受難予告の場面でも中心的な役割を担っています。この記事の前半で、ペトロはイエスから、「あなたは幸いだ。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」とまで激賞されました。ところが、後半になると、一転して、「サタン、引き下がれ」という最大級の叱責を浴びせられる。主の受難予告はそれほどまでにペトロの予測を越えた信じがたい出来事だったのです。

 こうしたペトロの姿から、私たちは何を学ぶでしょうか。それは私たち信仰者の「模範」にほかならないでしょう。信じて、失敗して、叱責されて、しかし主イエスの限りない慈しみのもとで、立ち直って、私たちもまたペトロのように、生涯、このキリスト信仰の道を歩み続けたいと、心から願います。